展望

 

本山興正寺・真宗興正派を憂う

 

前 略

 

東讃第一組は東かがわ市とさぬき市からなり、その中で旧寺院と

新寺院があるということは理解していると思います。

つまり旧寺院とは歴史の古い寺院でそれなりの門信徒を持っていますが、

新寺院は戦後、旧寺院からの独立を許された旧寺院のお弟子さんが

二十五口を護持するよう条件をつけられ、本山から寺号を下付して

もらった寺で二十五口と平均割四口の合計二十九口の架空の

門信徒を持ち自宅を寺院として登記した名前だけの寺院です。

 

一組は旧寺院八ヶ寺それに対して新寺院は同数の八ヶ寺の寺院数で

合計十六ヶ寺です。

二十九口の新寺院が八ヶ寺ですので単純に計算して、八ヶ寺×二十九口の

計二百三十二口は新寺院の維持口数です。

門信徒がないので本山の賦課金・冥加金も自身が法要を勤めた

お布施の中からポケットマネーで納め苦しいやり繰りを迫られていますが

それに対し旧寺院は門信徒から集めたお金で賦課金・冥加金を納め

新寺院に対しては少々楽な寺院経営を営んでいます。

 

宗派は、そんな新寺院からも、門信徒を持った旧寺院からも点数制で

賦課金・冥加金を均等に徴収しています

 

その一組の新寺院は僧侶の布施収入だけでは生活困窮で後継者が育たず

徐々に解散しています。いますでに、二ヶ寺が無住の寺で休眠状態が

続いています。近いうちに解散するでしょう。

 

驚かれるかも知れませんが吉田専暢先生のお寺も昨年末で解散しました。

 

これからは東讃教区の二十九口の寺院は徐々に維持が困難になり

解散する寺が激増することでしょう。

 

結局本山に対する賦課金・冥加金も当然減少する事になります。

第一組に該当する本派は第三過疎地帯で冥加金は減額の対象に

なっています。

興派と同じような門信徒の数で同格の本派の寺院の冥加金に対して

興派の賦課金・冥加金は約三倍です

 

興派は門信徒の増加傾向の都会の寺院も過疎で門信徒激減の寺院も

一点いくらの賦課金・冥加金です。

 

中 略

 

旧寺院とて例外ではありません、事実、寺院維持と生活の為、

興派の僧侶が本派、大派の門信徒宅へお勤めに参りますし逆に

本派や大派の僧侶が興派の門信徒宅へお勤めにも参ります。

私もその一人で本派、大派の門信徒宅へお勤めに行っていますし

少し前には真言宗の檀家へ毎月お勤めに行っていた事もありました。

 

当然本派や大派の寺院の報恩講等の法要に出勤もいたします。

本派、大派の門信徒のお宅へ法要のお勤めに行っている関係上

お礼参りに宗派を問わず法要出勤は至極当たり前の事ではないでしょうか?

私も宗派を問わず報恩講などの法要に出勤致しますし

当寺院へも宗派を問わず皆さんが出勤して下さいます。

 

 そんな訳ですので葬儀の諷経は各宗派、そして真言宗の方まで

揃う事も度々です。

今日も親類案内で真言宗の葬儀の諷経に行きました。

真言宗の僧侶の方と寺院の会計の事で議論白熱しました。

三人で勤める三部経のご法事に興派、本派、大派の僧侶で読経する

事も珍しい事ではなく、ごく自然に受け入れています。

 

本年の当山の報恩講の布教使は本派の住職です。その事についても

興派の僧侶に何のわだかまりもありません。

 

第一組では各宗派の僧侶は皆、お聖人の弟子であり御同行・御同朋なのです。

 

また本派の寺院で月に一度開かれている仏教講座にも本派の人達に

混じって興派、大派の僧侶が受講しています。興派の僧侶は私の

知りえる限り五名と当寺院の門信徒一人が受講しています。

 

興派の教学の先生の説で納得いかない事を本派の仏教講座の

先生に質問する人も沢山います。

特にさぬき市の一組の僧侶の方は、是々非々の立場をわきまえています。

 

その事について各宗派の方は何も言わず暖かく見守っています。

 

本派の団参のバスに乗って本願寺へ参拝する興派の僧侶も沢山います。

ですから興派の内部事情に精通した本派の僧侶の方も複数います。

 

いま一組のさぬき市では年間約800人が転出しています。

東かがわ市では約600人、第一組で合計1400人が転出しています。

この人数は転入、転出の差額ですので純粋に転出している人の数字です。

 

当然門信徒の数は激減しています。

空き家・売り家・貸し家ばかりが目立ってきていますが誰も見向きも

しません。

すごい過疎地帯になりました。

その事を本山当局は分かっているのでしょうか。

口数見直しがあると聞きましたが教務所長の話では口数増加の見直し

との事でした。

 

中 略

 

また本山報恩講に懇志をおさめた寺院に対して総長から来た

お礼の言葉には、全国的には膨大な金額になるであろうボールペン二本を

添付して「前略・・・多額の欠損を出しながらも当然のように法要が

務められてきました。しかし懇志が法要費用の三割以下というのは、

やはりこれは異常であります。云々・・・」

と書かれていました。

少額でも懇志をおさめた寺院に対してのお礼の言葉とは思えない文章で

法要の欠損が私達に責任があるかのようなものでした。

 

この文章には保守的な一組の方やそれを読んだ他派の僧侶の方まで

「お前んとこの宗務総長なに考えとんのや・・・」と冷ややかに

笑っていました。

 

本山で法要以外に門信徒との触れ合いの機会がありますか?

私が上山していた頃の予算・決算書には最初に「式務費・法要費」が

計上されて多額の予算が計上されていたと記憶しています。

 

唯一門信徒との触れ合いの機会の法要以外、どの部門にどのような多額の

出費が必要なのでしょうか。

 

私達が式務を担当していた頃、知堂は各教区の推薦制の少人数で外陣に

一列に並んだだけでも法要費は赤字になり担当参務から

よく小言を言われた事は承知していると思います。

 

しかし現在の式務衆は外陣一杯で溢れんばかりの出勤です。

その予算設定はどこから捻出しているのか不思議です

 

中 略

 

そして総長の言葉は続き「恐らく、みなさんの自坊ではこのような状態で法要はなされておらず、改善なさっていると思います・・・」

 

と、述べられていますが一組の一般寺院の多くは過疎で門信徒は減少し

各法要の参詣者は年々減少し法要のたびに布教使へのご法礼を

差し上げるのにも苦心して、やり繰りしている寺院が数多く存在している

事に気づいていない当局に少なからず失望いたしました。

 

中 略

 

 

また話は変わりますが、昨年の十二月十五、十六日に孫三人と

家内の五人で京都へ旅行に出かけました。

 

初めて乗る新幹線に孫達は大喜び。

得度を受けた安富の上の孫は、「ここが俺が得度した本山や」と得意げにして

境内をあるいている時、下の孫が急遽腹痛になり境内のトイレに走りました。

ところがそのトイレには落ち葉が舞い、ドアは埃だらけ、その上

そのドアには施錠が施され「法要時の団参用でトイレです。トイレは

興正会館へ・・・」との趣旨が書かれてあり、孫達は落ち葉の舞い散り

掃除もされた様子もない境内を走り興正会館のトイレで事なきを得ました。

 

そしてご影堂に参拝する事となり、得度を受けた孫は得意げに皆の案内役を

買って出ました。

 

ところが階段も縁も畳も結果もホコリだらけ私達が歩いた足跡がホコリの

上にクッキリと残っていました。

下の孫が「うちの本堂がずっと綺麗や・・・」に

得度を受けた、上の孫は落胆し傷ついたようでした。

 

森 昌子の芸能生活十五周年記念曲に孤愁人という歌があります。

その歌詞の最初のフレーズに

 

祭りが過ぎたら町に残るものは淋しさよ。

花火が消えたら空に残るものは寂しさよ

 

とありますが、これが平常時の興正寺の姿なのです。

 

前ご門主猊下伝灯奉告法要の最後の挨拶で高橋苗宗務総長が

「この法要だけで終わり、後が続かなければ何もならない。明日に続けてこそこの法要に意義がある」との趣旨の事を述べられました。

 

中 略

 

梵唄の流派はどうであれ、習礼に習礼を重ね法要を大盛況に努め上げた式務衆には絶賛の言葉を贈りますが、いくら大成功の内に終わった法要でも、後に残るお念仏そして信心、宗祖聖人へのお敬いの心が続かなければ孤愁人の歌詞と同じになってしまいます。

 

私は、興派を否定している訳では決して有りません。

誰よりも本山・宗派を愛し将来を憂いて改革を念じている近藤眞因の言った

愛山党の一人です。この思いは誰の心にも増して強いと自負しています。

 

自分で作った文語体の表白文を法事ならびに葬儀に用い最後に

「ここに圓頓山 華園院 末流 雨瀧山主 敬って白します。哀愍納受願います」と少しでも本山の名前を広めようと山号、院号を用い締めくくっています。

 

しかし、私の心中は、前述の通り興派も本派も大派も皆同じ親鸞聖人の

真宗念仏なのです。

 

これからも興正寺をはじめ西本願寺、東本願寺の法友の皆さんと交友を深める事でしょう。

 

このように本山を愛しながらも改革に向けた批判的意見を書けば子供や孫

そして寺族までもが本山・宗派や教務所・別院でつらい思いをするだろうと危惧しながらも少々大胆に書かして頂きました。

 

しかし、これは私が自信を持って書いた意見ですが、一方的になりますので

他の方の意見もお聞ききになりご判断下さい。

 

いまの私は誰に何の恥じる事無く六時三十分から家族全員で晨朝を勤め

門信徒教化、寺院経営に尽力しています。

正座は出来ませんが胡坐は掻けますし、まだまだ高い声も低い声も

健全に出ます。

いまは、日本一の読経を門信徒に聞いて頂くのが私の夢ですし、また

誰にも劣らない梵唄、読経であると自負しています。

 

縁熟した梵唄と読経で門信徒に喜ばれ私の背中で心から泣き、心から

慶ばれるお勤めを目指し日々精進しています。

 

葬儀の司会者との打ち合わせの後に「私達僧侶も一生懸命

お勤めをするから、ご遺族に喜ばれる日本一の葬儀をお互い

頑張って勤めような・・・」とお願いしています。

 

ご法事の時も力の限り梵唄、読経を唱え自分に満足のいくお勤めに

なるよう心がけています。

 

バレリーナの森下洋子さんが言われた言葉に

 

一日稽古を休めば自分にわかる (自分の声の変化)

二日休めばパートナーにわかる (一緒にお勤めをしている僧侶)

三日休めば観客にわかる    (参詣の門信徒)

 

と言っていますが

 

僧侶のお勤めも同じではないでしょうか。

いつも言っていた言葉「僕たち坊主はプロなんだよな~・・・」を

思い出しつつ日々の生活を凛々と過ごしています。

今は梵唄と読経で門信徒のお宅へお邪魔し世間話で楽しみ

週四日、夜の少年剣道の指導と一般人との稽古で気持ちいい汗を流し

毎日を有意義に過ごしています。

いずれ時が来れば弁護士試験より難しいと言われる合格率三%の剣道六段

及び七段に挑戦しようと日々稽古に稽古を重ね精進しています。

最近更生保護関係の原稿書き、議案書などの作成が多忙の上パソコン使用が

義務付けられパソコンなしでは書類を作成出来ない時代になりました。

そんな訳でこの手紙も原稿書きの合間にパソコンで書きあげました。

 

中 略

 

そう思った瞬間から、ぼうっとした人間になりました。

自然にぼうっとしているのではなく歯を食い縛って、ぼうっとする訓練を

し始めました。

その結果、私は、心ここにあらずという状態に、いつでも自分を持って行けるようになりました。

 

どんな事が起ころうと、へっちゃらな顔をして、どうにかなるさと笑って

みせる、訓練もしました。

 

「根畜生、何クソ」と思いながら、ぼう~として歯を食い縛って、どんな事に

なろうとへっちゃらな顔をして、どうにかなるさと笑って生きています。

 

そんな事が不思議と出来るようになりました。おもしろいでしょう。

 

ご心配とご忠告を心から感謝申しあげまして結びの言葉と致します。

 

身体や膝関節を労りお元気でご法耕下さいますよう

心から念じあげます。

 

私も時々例の病が顔を覗かせ、骨折のあとの膝、大腿部が痛み大変です。

 

最後になりました。私の心情がご理解出来ないときは一笑に付し、この拝復を破棄して下さい。

 

 

平成二十五年四月十四日

 

 

                                   法兄さま

 

末弟 安富習学

 

追伸

 

書きあげてから長らく手元に置いていた貴殿への拝復。

これを送れば自分が小さな人間、また宗派批判ばかり繰り返す

捻くれた人間に思われ、私の人間性と気品に傷がつくだろうと考え

削除を思案していました。

 

しかし大川地区保護司会二十五年度総会が終了したのを心の

けじめとして投函することを決意致しました。

 

私の心情を理解して頂けるか、そうでないかは貴君のご自由ですが

これが私の腹蔵ない意見です。

そして私は誰に恥じる事無く自分の信ずる道を邁進するだけです。

 

本昭上人七回忌の時だろうと思いますが近藤真因が尊前で

上人讃仰の唄を唱えている写真を送ります。

今となっては遠い懐かしい、悲しくもあり、嬉しくもあり、大泣きもし

大笑いもした、遠い良い時代の思い出深い写真です。

もしお持ちでなかったら思い出としてご笑納下さい。

 

七月は更生保護活動の一環で「社会を明るくする運動」強調月間が

始まり各地の弁論大会やミニ集会での会合、公開ケース研究会そして

小学生のマーチングバンドを先頭に保護司は元より市長、警察署長

更生保護女性会の皆さんとのパレードの計画などを皮切りに年間にわたり

僧侶の勤めに加えと保護司会活動と少年剣道の指導に多忙を極めます。

 

しかし保護司会活動と少年剣道の指導は我が宗派や我が派の僧侶の世界と

異なり打てば大きく鳴り響く素晴らしいものです。

 

保護司会の活動資料を若干送ります。何かの参考になれば幸いです。

 

五月二十四日

 

 

 

ちょっと思う事がありまして手紙形式で書かせて頂きました。文中の個人名と個人情報は個人情報保護法の関係から削除しています。

 

文中に不快感を与える箇所がありましたら心よりお詫び申しあげます。

 

安 富 習 学

平成26年晩夏67歳の誕生日を迎える 野に咲く月見草