展望

 

本山興正寺・真宗興正派を憂う

 

前 略

 

東讃第一組は東かがわ市とさぬき市からなり、その中で旧寺院と

新寺院があるということは理解していると思います。

つまり旧寺院とは歴史の古い寺院でそれなりの門信徒を持っていますが、

新寺院は戦後、旧寺院からの独立を許された旧寺院のお弟子さんが

二十五口を護持するよう条件をつけられ、本山から寺号を下付して

もらった寺で二十五口と平均割四口の合計二十九口の架空の

門信徒を持ち自宅を寺院として登記した名前だけの寺院です。

 

一組は旧寺院八ヶ寺それに対して新寺院は同数の八ヶ寺の寺院数で

合計十六ヶ寺です。

二十九口の新寺院が八ヶ寺ですので単純に計算して、八ヶ寺×二十九口の

計二百三十二口は新寺院の維持口数です。

門信徒がないので本山の賦課金・冥加金も自身が法要を勤めた

お布施の中からポケットマネーで納め苦しいやり繰りを迫られていますが

それに対し旧寺院は門信徒から集めたお金で賦課金・冥加金を納め

新寺院に対しては少々楽な寺院経営を営んでいます。

 

宗派は、そんな新寺院からも、門信徒を持った旧寺院からも点数制で

賦課金・冥加金を均等に徴収しています

 

その一組の新寺院は僧侶の布施収入だけでは生活困窮で後継者が育たず

徐々に解散しています。いますでに、二ヶ寺が無住の寺で休眠状態が

続いています。近いうちに解散するでしょう。

 

驚かれるかも知れませんが吉田専暢先生のお寺も昨年末で解散しました。

 

これからは東讃教区の二十九口の寺院は徐々に維持が困難になり

解散する寺が激増することでしょう。

 

結局本山に対する賦課金・冥加金も当然減少する事になります。

第一組に該当する本派は第三過疎地帯で冥加金は減額の対象に

なっています。

興派と同じような門信徒の数で同格の本派の寺院の冥加金に対して

興派の賦課金・冥加金は約三倍です

 

興派は門信徒の増加傾向の都会の寺院も過疎で門信徒激減の寺院も

一点いくらの賦課金・冥加金です。

 

中 略

 

旧寺院とて例外ではありません、事実、寺院維持と生活の為、

興派の僧侶が本派、大派の門信徒宅へお勤めに参りますし逆に

本派や大派の僧侶が興派の門信徒宅へお勤めにも参ります。

私もその一人で本派、大派の門信徒宅へお勤めに行っていますし

少し前には真言宗の檀家へ毎月お勤めに行っていた事もありました。

 

当然本派や大派の寺院の報恩講等の法要に出勤もいたします。

本派、大派の門信徒のお宅へ法要のお勤めに行っている関係上

お礼参りに宗派を問わず法要出勤は至極当たり前の事ではないでしょうか?

私も宗派を問わず報恩講などの法要に出勤致しますし

当寺院へも宗派を問わず皆さんが出勤して下さいます。

 

 そんな訳ですので葬儀の諷経は各宗派、そして真言宗の方まで

揃う事も度々です。

今日も親類案内で真言宗の葬儀の諷経に行きました。

真言宗の僧侶の方と寺院の会計の事で議論白熱しました。

三人で勤める三部経のご法事に興派、本派、大派の僧侶で読経する

事も珍しい事ではなく、ごく自然に受け入れています。

 

本年の当山の報恩講の布教使は本派の住職です。その事についても

興派の僧侶に何のわだかまりもありません。

 

第一組では各宗派の僧侶は皆、お聖人の弟子であり御同行・御同朋なのです。

 

また本派の寺院で月に一度開かれている仏教講座にも本派の人達に

混じって興派、大派の僧侶が受講しています。興派の僧侶は私の

知りえる限り五名と当寺院の門信徒一人が受講しています。

 

興派の教学の先生の説で納得いかない事を本派の仏教講座の

先生に質問する人も沢山います。

特にさぬき市の一組の僧侶の方は、是々非々の立場をわきまえています。

 

その事について各宗派の方は何も言わず暖かく見守っています。

 

本派の団参のバスに乗って本願寺へ参拝する興派の僧侶も沢山います。

ですから興派の内部事情に精通した本派の僧侶の方も複数います。

 

いま一組のさぬき市では年間約800人が転出しています。

東かがわ市では約600人、第一組で合計1400人が転出しています。

この人数は転入、転出の差額ですので純粋に転出している人の数字です。

 

当然門信徒の数は激減しています。

空き家・売り家・貸し家ばかりが目立ってきていますが誰も見向きも

しません。

すごい過疎地帯になりました。

その事を本山当局は分かっているのでしょうか。

口数見直しがあると聞きましたが教務所長の話では口数増加の見直し

との事でした。

 

中 略

 

また本山報恩講に懇志をおさめた寺院に対して総長から来た

お礼の言葉には、全国的には膨大な金額になるであろうボールペン二本を

添付して「前略・・・多額の欠損を出しながらも当然のように法要が

務められてきました。しかし懇志が法要費用の三割以下というのは、

やはりこれは異常であります。云々・・・」

と書かれていました。

少額でも懇志をおさめた寺院に対してのお礼の言葉とは思えない文章で

法要の欠損が私達に責任があるかのようなものでした。

 

この文章には保守的な一組の方やそれを読んだ他派の僧侶の方まで

「お前んとこの宗務総長なに考えとんのや・・・」と冷ややかに

笑っていました。

 

本山で法要以外に門信徒との触れ合いの機会がありますか?

私が上山していた頃の予算・決算書には最初に「式務費・法要費」が

計上されて多額の予算が計上されていたと記憶しています。

 

唯一門信徒との触れ合いの機会の法要以外、どの部門にどのような多額の

出費が必要なのでしょうか。

 

私達が式務を担当していた頃、知堂は各教区の推薦制の少人数で外陣に

一列に並んだだけでも法要費は赤字になり担当参務から

よく小言を言われた事は承知していると思います。

 

しかし現在の式務衆は外陣一杯で溢れんばかりの出勤です。

その予算設定はどこから捻出しているのか不思議です

 

中 略

 

そして総長の言葉は続き「恐らく、みなさんの自坊ではこのような状態で法要はなされておらず、改善なさっていると思います・・・」

 

と、述べられていますが一組の一般寺院の多くは過疎で門信徒は減少し

各法要の参詣者は年々減少し法要のたびに布教使へのご法礼を

差し上げるのにも苦心して、やり繰りしている寺院が数多く存在している

事に気づいていない当局に少なからず失望いたしました。

 

中 略

 

 

また話は変わりますが、昨年の十二月十五、十六日に孫三人と

家内の五人で京都へ旅行に出かけました。

 

初めて乗る新幹線に孫達は大喜び。

得度を受けた安富の上の孫は、「ここが俺が得度した本山や」と得意げにして

境内をあるいている時、下の孫が急遽腹痛になり境内のトイレに走りました。

ところがそのトイレには落ち葉が舞い、ドアは埃だらけ、その上

そのドアには施錠が施され「法要時の団参用でトイレです。トイレは

興正会館へ・・・」との趣旨が書かれてあり、孫達は落ち葉の舞い散り

掃除もされた様子もない境内を走り興正会館のトイレで事なきを得ました。

 

そしてご影堂に参拝する事となり、得度を受けた孫は得意げに皆の案内役を

買って出ました。

 

ところが階段も縁も畳も結果もホコリだらけ私達が歩いた足跡がホコリの

上にクッキリと残っていました。

下の孫が「うちの本堂がずっと綺麗や・・・」に

得度を受けた、上の孫は落胆し傷ついたようでした。

 

森 昌子の芸能生活十五周年記念曲に孤愁人という歌があります。

その歌詞の最初のフレーズに

 

祭りが過ぎたら町に残るものは淋しさよ。

花火が消えたら空に残るものは寂しさよ

 

とありますが、これが平常時の興正寺の姿なのです。

 

前ご門主猊下伝灯奉告法要の最後の挨拶で高橋苗宗務総長が

「この法要だけで終わり、後が続かなければ何もならない。明日に続けてこそこの法要に意義がある」との趣旨の事を述べられました。

 

中 略

 

梵唄の流派はどうであれ、習礼に習礼を重ね法要を大盛況に努め上げた式務衆には絶賛の言葉を贈りますが、いくら大成功の内に終わった法要でも、後に残るお念仏そして信心、宗祖聖人へのお敬いの心が続かなければ孤愁人の歌詞と同じになってしまいます。

 

私は、興派を否定している訳では決して有りません。

誰よりも本山・宗派を愛し将来を憂いて改革を念じている近藤眞因の言った

愛山党の一人です。この思いは誰の心にも増して強いと自負しています。

 

自分で作った文語体の表白文を法事ならびに葬儀に用い最後に

「ここに圓頓山 華園院 末流 雨瀧山主 敬って白します。哀愍納受願います」と少しでも本山の名前を広めようと山号、院号を用い締めくくっています。

 

しかし、私の心中は、前述の通り興派も本派も大派も皆同じ親鸞聖人の

真宗念仏なのです。

 

これからも興正寺をはじめ西本願寺、東本願寺の法友の皆さんと交友を深める事でしょう。

 

このように本山を愛しながらも改革に向けた批判的意見を書けば子供や孫

そして寺族までもが本山・宗派や教務所・別院でつらい思いをするだろうと危惧しながらも少々大胆に書かして頂きました。

 

しかし、これは私が自信を持って書いた意見ですが、一方的になりますので

他の方の意見もお聞ききになりご判断下さい。

 

いまの私は誰に何の恥じる事無く六時三十分から家族全員で晨朝を勤め

門信徒教化、寺院経営に尽力しています。

正座は出来ませんが胡坐は掻けますし、まだまだ高い声も低い声も

健全に出ます。

いまは、日本一の読経を門信徒に聞いて頂くのが私の夢ですし、また

誰にも劣らない梵唄、読経であると自負しています。

 

縁熟した梵唄と読経で門信徒に喜ばれ私の背中で心から泣き、心から

慶ばれるお勤めを目指し日々精進しています。

 

葬儀の司会者との打ち合わせの後に「私達僧侶も一生懸命

お勤めをするから、ご遺族に喜ばれる日本一の葬儀をお互い

頑張って勤めような・・・」とお願いしています。

 

ご法事の時も力の限り梵唄、読経を唱え自分に満足のいくお勤めに

なるよう心がけています。

 

バレリーナの森下洋子さんが言われた言葉に

 

一日稽古を休めば自分にわかる (自分の声の変化)

二日休めばパートナーにわかる (一緒にお勤めをしている僧侶)

三日休めば観客にわかる    (参詣の門信徒)

 

と言っていますが

 

僧侶のお勤めも同じではないでしょうか。

いつも言っていた言葉「僕たち坊主はプロなんだよな~・・・」を

思い出しつつ日々の生活を凛々と過ごしています。

今は梵唄と読経で門信徒のお宅へお邪魔し世間話で楽しみ

週四日、夜の少年剣道の指導と一般人との稽古で気持ちいい汗を流し

毎日を有意義に過ごしています。

いずれ時が来れば弁護士試験より難しいと言われる合格率三%の剣道六段

及び七段に挑戦しようと日々稽古に稽古を重ね精進しています。

最近更生保護関係の原稿書き、議案書などの作成が多忙の上パソコン使用が

義務付けられパソコンなしでは書類を作成出来ない時代になりました。

そんな訳でこの手紙も原稿書きの合間にパソコンで書きあげました。

 

中 略

 

そう思った瞬間から、ぼうっとした人間になりました。

自然にぼうっとしているのではなく歯を食い縛って、ぼうっとする訓練を

し始めました。

その結果、私は、心ここにあらずという状態に、いつでも自分を持って行けるようになりました。

 

どんな事が起ころうと、へっちゃらな顔をして、どうにかなるさと笑って

みせる、訓練もしました。

 

「根畜生、何クソ」と思いながら、ぼう~として歯を食い縛って、どんな事に

なろうとへっちゃらな顔をして、どうにかなるさと笑って生きています。

 

そんな事が不思議と出来るようになりました。おもしろいでしょう。

 

ご心配とご忠告を心から感謝申しあげまして結びの言葉と致します。

 

身体や膝関節を労りお元気でご法耕下さいますよう

心から念じあげます。

 

私も時々例の病が顔を覗かせ、骨折のあとの膝、大腿部が痛み大変です。

 

最後になりました。私の心情がご理解出来ないときは一笑に付し、この拝復を破棄して下さい。

 

 

平成二十五年四月十四日

 

 

                                   法兄さま

 

末弟 安富習学

 

追伸

 

書きあげてから長らく手元に置いていた貴殿への拝復。

これを送れば自分が小さな人間、また宗派批判ばかり繰り返す

捻くれた人間に思われ、私の人間性と気品に傷がつくだろうと考え

削除を思案していました。

 

しかし大川地区保護司会二十五年度総会が終了したのを心の

けじめとして投函することを決意致しました。

 

私の心情を理解して頂けるか、そうでないかは貴君のご自由ですが

これが私の腹蔵ない意見です。

そして私は誰に恥じる事無く自分の信ずる道を邁進するだけです。

 

本昭上人七回忌の時だろうと思いますが近藤真因が尊前で

上人讃仰の唄を唱えている写真を送ります。

今となっては遠い懐かしい、悲しくもあり、嬉しくもあり、大泣きもし

大笑いもした、遠い良い時代の思い出深い写真です。

もしお持ちでなかったら思い出としてご笑納下さい。

 

七月は更生保護活動の一環で「社会を明るくする運動」強調月間が

始まり各地の弁論大会やミニ集会での会合、公開ケース研究会そして

小学生のマーチングバンドを先頭に保護司は元より市長、警察署長

更生保護女性会の皆さんとのパレードの計画などを皮切りに年間にわたり

僧侶の勤めに加えと保護司会活動と少年剣道の指導に多忙を極めます。

 

しかし保護司会活動と少年剣道の指導は我が宗派や我が派の僧侶の世界と

異なり打てば大きく鳴り響く素晴らしいものです。

 

保護司会の活動資料を若干送ります。何かの参考になれば幸いです。

 

五月二十四日

 

 

 

ちょっと思う事がありまして手紙形式で書かせて頂きました。文中の個人名と個人情報は個人情報保護法の関係から削除しています。

 

文中に不快感を与える箇所がありましたら心よりお詫び申しあげます。

 

安 富 習 学

平成26年晩夏67歳の誕生日を迎える 野に咲く月見草

 

 

                         

 

 

 

 

思うこと

 念佛が出んわ・・・手も合わんわ・・・

 あんた正直やナ~。

ほんだって・・・ほんまの事やのに。

     無理して出す事ないわ。手もそうやで。

ワシ、腹の中では無茶苦茶考えとるで!

 ワシ以外の人を常に叩いたり、最後は殺しとるで

人の物いつも盗んどるで・・・

 ええ事しても、いつも交換条件を腹のなかで考えとる毒化ばっかりの善や。

ほんだけん。ワシは悪人や。世界一の大悪人や。絶対に地獄行きや。

 間違いないわ・・・

 

悪性さらにやめがたし

 こころは蛇蠋のごとくなり

 修善も雑毒なるゆゑに

 虚仮の行とぞなづけたる

 

 

 

 

ご和讃

相好ごとに百千の

 ひかりを十方にはなちてぞ

 つねに妙法ときひろめ

 衆生を佛道にいらしむる

 

弥陀の浄土に帰しぬれば

 すなはち諸仏に帰するなり

 一心をもちて一仏を

 ほむるは無碍人をほむるなり

 (2000-06-23)

2人の会話から

本山へ行って来たよ。

工事どうだった?。

順調そうだよ。

それは良かった。

でも~ご真影様が阿弥陀堂の右余間壇(向かって左)にご転座していたよ。

ええ~どうして?

御影堂の内陣工事の関係でしょう?へ~ェ。それより僕が気になるのはご転座法要かご動座法要を勤めたの?

知らな~い。

興正寺は、ご転座法要の後で御影堂後堂の輿を使ってご転座する慣わしだよ。

中 略

 所でお隣のご動座法要の写真持ってるの?たしかbonnonが持ってるよ。

彼は色んな資料を持ってるからね

じゃ見せてもらおう。

これでまた彼の立場は悪くなるね!大丈夫でしょう!

でも分かっている人は分かっている。ワっ ハっ ハっ・・・。

それにしても小さい写真だネ!    

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独りごと

独りごと(2000-07-05)

 

風小僧さん。本山の二河譬のポスタ-について、『やっぱり阿弥陀さん』はいいのですが、あのポスタ-の中の『信じて行け』と『必ず救う』が問題になるのでしょうね。
この3点セットで浄土真宗でなくなると思います。天台宗でも使用出来るポスタ-と言えなくも無いですね。

amidasan1つまり、お聖人は『信じなさい』とは言われてないはずです。『信心頂きなさい』と仰っているのでしょうね。『必ず救う』とは、今の私にとって未来は現在ほど重要でないでしょう。
今現時点で私が救われているのであって、それをお聖人は正定聚とお示しになられたのでしょう。
どちらにしてもご本山が使用するポスタ-としては疑問が残ります。

 

中 略


上記思いつくまま書かせて頂きましたが、この内容は皆様方からのお叱りを覚語で式務しか知らない式務バカが(独り言)を言ったとお笑い下さい。

siroben11

白ベンがメゲタ! 皆さんは高速道路でオーバーヒートの経験はありますか?

日曜日の猛暑の中、養専寺掲示板で(お金持ちの象徴)と云われた白ベンがオーバーヒートし壊れた。

この日はJYOJOの母(私の娘)を滋賀の甲賀での同窓会に送り、その足で高雄病院(アトピー治療のページ参照)に来院、JYOJOに診察を受けさせ、その後大谷女子大学生で富田林の末娘の所へ立ち寄り、帰山の予定で午前5時に坊守の里の母、坊守、JYOJOの母(私の娘)とJYOJOと共に養専寺を出発した。

白ベンで出発と決め前日に、オイル交換、ラジエータの水、タイヤの空気圧その他、近所のモータースで点検してもらっての出発である。
養専寺出発から滋賀県甲賀までは坊守がハンドルを握った。(住職は朝が弱いのでネ!)鳴門大橋、淡路島、明石大橋とJYOJO同乗の為 途中2度の休憩を取り離乳食を与えながら順調に走行。

午前10時頃甲賀に到着。同窓会出席の娘が下車。JYOJOはチャイルドシートでグッスリ眠っていた為悲しい別れとはならず娘一人が寝ているJYOJOに向かってバイバイ! 運転を交代し京都の高雄病院へ向かう。
外気温、何と40度。水温計の針もヤヤ上昇気分。エンジン、エアコン共に快調。しかし~、名神京都東の料金所での長い渋滞。市内渋滞走行(少しパワーダウン??)シフトダウンが多いようだネ!と一人思いつつ高尾病院到着。

診察と投薬。そして昼食と休憩約3時間。 さあ~富田林へ行こうと駐車中の白ベンに戻りエンジンスタート。オイ? オイ? オイ? 何と何と。エアコンから熱風・・・えっえっえ~。 image1111 走れば冷える!うん冷える。

スタート。(これが地獄へのプロローグ)とは誰知るや!少し走れば渋滞。渋滞。水温計の針は最高位。止まりたい、止まれない。渋滞、渋滞。エアコン冷えない。窓を全開。団扇、ウチワ、うちわ。JYOJOは(金時さんの火事見舞い)の如く真っ赤な顔で笑う。

どんな時も常に愛想良く振舞うJYOJOが愛しくて可愛そう。 途中で一度止まれたので点検するが、冷却水量、オイル等すべてOKなのですよ? (不思議です) とにかく走りましょう。高速へ乗ろう、そしてPAかSAでじっくり点検だ・・・と。もうこうなると正しい判断が出来ないのでしょうか?今にして思えばナゼこの時点でJAFを呼ばなかったのか?

今日考えても、分っかりませ~ん。
やっとの思いで名神京都南インターから高速に乗れた。名神は順調に流れている。走れば冷える。うん冷える・・・冷えない?水温計最高温度を示している。エアコン少し冷え出した。

とにかく最初の桂川SAでじっくり点検だ! しかし、ゆ~くりスピードダウンしはじめる。すぐ天王山トンネル。もしもトンネルの中で・・・?止まろうか?止まろうか?いや行け~行け~悪魔がささやく。トンネル突入。突入。 タノム早く。早く。トンネルを出たい。エンジン悲鳴を上げている様だ。おとろしわ~どなんしたらえんぞ。讃岐弁でつぶやくが(お念仏は出なかった?)お聖人の仰る如くだ??? 出た、さあ桂川SAへ。まだか・・・まだか・・・。見えてきた。

助かった。左の侵入道路へ。そしてSAへ、満車状態。空きスペースを見つけハンドルを切り、アト3M。今まさに駐車しようとした刹那。エンジンルームから、ゴトゴト音そしてエンジン ポン。ストップ。 ボンネットを開き迷う事無くJAFへ携帯。(ここで、やっと正しい判断が出来た) 下りの桂川SAですか?SAの入り口付近ですか,それとも出口付近ですか?車の状態は、ナンバーは、会員証はお持ちですか。携帯番号はと必要事項を聞かれ、少々お待ち下さい。

ハイお待たせ致しました。ベンツ担当がまいりますが、交通渋滞の為約1時間半お待ち下さい。 担当者がお車の所に到着しますと携帯でお知らせ致しますので涼しい所でお待ち下さい。それでは、ハイ・・・バイチャ!バイチャ! ベンツ担当が来てくれてもこんな所では修理は出来ない。応急処置で香川まで帰れたら良いのになあ・・・。もしダメな時は近くのインターまで車輌搬送、一般道路に下ろされJAF指定のモータス屋に入れられ・・・ああ、大変だ~。金掛かるだろうな~。

門徒の人が云って呉れたようにボロ車(ベンツ2台)処分して適当な車にしとけば良かった。でも(門徒として)さんの云うようにステータスシンボルだもんなア!とか考えながら皆でお茶を飲んでいた。

待つ事約1時間。携帯が恩徳讃のメロディーを奏でJAF到着を告げる。 来た!JAFが来た。おもむろにベンツの所に行くとすでに修理が始まっていた。
(せいぜい応急処置位だろう)と思っていた僕はビックリした。本格的な測定機や特殊工具を取り出して修理屋さんと同じように修理しているではないか。

それも当然路上で。色々状態を説明し、待つ事約1時間30分。 エンジンのフアンクラッチの故障です。エンジンのフアンとエアコンのフアンの電気系統は同じ回路でヒュ-ズも同じです。
だから片一方がトラブルと両方とも動かなくなります。 今はエンジンのフアンの配線を切断してありますので、エアコンは正常に冷えています。しかしエンジンのフアンは回りませんので水温は上昇します。

ラジエーターに処理剤を入れました。それだけの料金を請求します。ハイ 145円です。しかし良く高雄からここまでファン無しで来られましたね。さすがベンツ!エンジンにダメージがなければ良いのですが・・・。
それでは処理剤の料金145円お願いします。

エエ???あれだけ見て、配線調べて、調整して、工賃タダ。145円のみ。 来て見てサワッテ○○○のお店。ではないけど。来て見てサワッテ・・・部品代のみ145円。
それではなるべくスピードを落とさずに出来るだけ時速80キロ、最低50キロは保って走行下さい。途中渋滞がない事を神???に祈ってます。
ではバイチャ!バイチャ! JAFに入会まだの方必ず入会しましょう。推薦致します。(笑) もう富田林の末娘(Mico)の所へは寄らずに(寄れないヨ・・・これではネ)
帰ろう。帰ろう。 kiben11白ベンはこんな訳で修理に幾らいるか分からない。黄ベンはエアコンのコンプレッサーの交換に数十万円。 家族会議で、2台のポンコツベンツを処分して1台にしようという事に決定。
siroben2買っちゃいましたヨ!ワインレッド四つ目のベンツワゴン! (日本名 蘇芳色 ソホウイロ四つ目のベンツワゴン)

哀 2

6月1日夜、忠さんが死んだ。

今、お悔やみから帰って来た。 中学の同級生。気のいい男だった。明るい気さくな男だった。
酒と美味い物に目IMG_0126のない男だった。 鉄と、ステン、アルミ溶接の日本一受賞の男だった。

美術加工の第一人者だった。 数年前本堂の花瓶の落し蓋を作ってもらった。とても難しい仕事である。

その事を北海道の佐長真隆法兄に話すと自分もほしいと言う。忠さんに依頼した。他の仕事を後回しにして二つ返事で引き受けてくれた。 IMG_0125

それも花瓶の寸法を筆記した手紙を見て作った。 花瓶にピッタリ納まり、極寒の地でも絶対に裂ける事がないと言う。 太田君のお寺の花瓶の修理をした。他の溶接屋で断られたものだ。
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2回目の入院の前にハ-レ-のスタンドを修理してもらった。

どこの店でも二の足を踏んだスタンドが忠さんの名人芸でよみがえった。

仕事のし過ぎ。いつ寝ていたんだ?いつも仕事をしていた。
早朝から夜中まで。 又一人いいヤツが俺の前からいなくなった。

腕のいい芸術家・日本一の職人が終わった。 残念だ。 俺が往くまで美味いモンでも食って一杯飲んで待ってろョ!忠さん!

哀 1

 

          5月30日 妙子が死んだ。
妙子のお寺

48歳。腎臓結石粉砕術にて入院中に心筋梗塞を引き起こし心不全での急逝。

妙子とは坊主仲間では特に古い付き合いである。    若くして親との別れ、本堂の移転新築他、女手一つで良くやった。本当に苦労を背負って生まれて来た妙子であった。
 

妙子の身体は病のデパ-トだった。病気の事は余り話さなかったが、密かに入退院を繰り返していた。 長い間随分苦しかっただろう。
だるい身体でも、いつも冗談が通じ、いいケンカ相手だった。

お勤めは冗談にでもうまいと言えなかったが、道具物(鳴り物)は抜群のセンスを持っていた。金の打ち方を一つだけ伝え忘れた。心残りだ。

妙子は退院予定日に死んだ。1組の稚児係りがいなくなった。 ケンカ相手がいなくなった。

妙子よ なぜ死んだ 久し振りに泣いた。 心の底からからつらかった。

お悔やみ、お通夜、葬儀、野辺。涙が止まらなかった。 妙子、お浄土は忙しかろう・・・。

如来様とケンカをしないようにナ! 俺が行くまで首を長くして待ってろョ!妙子。